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花のベッドでひるねして/よしもとばなな【書評・読書感想】

 

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著者 よしもとばなな

出版社 幻冬舎文庫

 

真っ暗な闇の中でぽつりと輝く温かい光のような物語です。

 

・あらすじ

 海辺で拾われた捨て子の幹は、血の繫がらない家族に愛されて育った。祖父が残したB&Bで忙しく働きながら幸せに過ごしていたが、廃墟のビルに明かりが点いてから不穏な出来事が起こり始める。両親の交通事故、夢に出る気味の悪いうさぎ、玄関前に置かれる小石……。歪んだ世界を、小さな村の平凡な営みが正してゆく。希望が芽吹く傑作長編。

 

・キーワード

「違うこと」

祖父には欲しいものがいつの間にか手元にやってくるという特技があります。

ある時祖父がその特技でクィーンのTシャツを手に入れたことがありました。

その時祖父が幹に対してこう語ります。

 

 毎日のほとんどのことは、まるで意地の悪いひっかけ問題みたいに違うことへと誘っている。でも、違うことをしなければ、ただ単に違わないことが帰ってくるだけなんだ。そうしていれば、私のできることは誰にでもできる。

だれもが毎日十円、百円と借金をするように「違うこと」をしている。それはやがて大きくなって出来事になって返ってくるか、欲しいものがそうとうな時差をへないと、あるいは全く手に入らなくなる。

 毎瞬いかに誘われないかが全てだし、誘われたことにどう対応するかが全てなんだ。

 引き寄せっていうのはつまり、欲の問題だろう?でも、俺のはそれじゃないんだ。欲がないところにだけ広くて大きな海がある。海には絶妙のバランスがある。その中を泳ぎながら、俺は最低限の魚をとって食べている。ただそれだけのことなんだ。有名になる必要はないし、足りているもので生きればそれでいい、そう決めれば、必要なものはそこにあるんだ。

おじいちゃん、めちゃくちゃ語りますね。

祖父の中で毎日のほとんどのこと、選択は「違うこと」と「必要なこと」の二つに分けれているんじゃないかなって思いました。祖父はこの判別が非常に得意で感覚的に「違うこと」っていうのを理解していたんだと思います。

 

それにしても「違うこと」って具体的にはどういうことなのでしょう?

作中で幹はこのようなことを考えています。

 暮らしていると日々のくりかえしの中でなにかがもやっと人や家を取り巻くようになる。ぐにゃっとしたもやっとしたもの。それは体にまとわりついて力を奪うものだ。

 そういうのを日々実にうまく回避していたのが祖父だった。

この祖父が回避していた、ぐにゃっとしたもやっとしたものが「違うこと」なのだと思います。うーん、抽象的ですね。

 

「違うこと」の反対にある「必要なこと」について考えてみます。

 一見当たり前のこと・・・家族が仲良く暮らす、なるべく気持ちをためないようにちゃんと言う、挨拶をしっかりかわす、家の掃除をする、そんなことの積み重ねが結局は大きな力になっていく。

この一文は「必要なもの」について書かれているのだと思います。こちらは先ほどに比べ具体的に書かれていますね。つまり、「違うこと」というのは一見すると当たり前のこと、だけど自分が自分であるためにとても大切なこと、その逆なのだと私は考えました。

 

人によって、色々な解釈の仕方があると思うので他の意見も聞いてみたいですね。

 

 ・感想

この物語はたくさんの人が死んじゃうんですよね。暗くて悲しい雰囲気なのにも関わらず読み終わった後、ほんのり温かいきもちになりました。

物語の舞台が神秘的、幻想的な村だったことや。幹を含め幹の周りの登場人物がとても明るい、というか心が綺麗な人たちなんですよね。だから、温かいきもちになったんじゃないかなって思います。

 

周りの人間の評価ばかり気にするんじゃなくて、花のベッドで寝転んでいるような生き方。こういう生き方っていいなーって思いました。